約半年間カウンセリングを行った30代の男性の方の声です

半年ほどカウンセリングを受けていただいたAさんが、ご自身の体験を多くの方に伝えたいと、メールでメッセージをくださいました。

長文ですが、そのまま載せさせていただきます。

 

岡本先生へ
書いている中でまた気づいたことがたくさんありました。自分のことが分かるというのはとても素晴らしい経験です。おかしいところがあったらすいません。よろしくお願いいたします。

(A)

「カウンセリングを受けて」

岡本先生のカウンセリングを受けて、私は本当にたくさんの良い変化を感じてきましたが、最も実感していることは、自分にはずっと、こうした助けが必要だったということです。

私はそれまで、自分は強い人間で、一人で大丈夫だ、助けはいらないと思い込んでいました。

それは多分、助けを求めて精神科に行って薬をもらっても成果が上がらなかったり、適切な助けが得られなかったという過去の経験から、病院では治らないと考えてしまったことや、カウンセリングというものを私がよく知らなかったせいでもありました。

そのため私は、人生で辛いことがあって自分では対処できなくなるたびに、なんとかそこから逃げるしかなくて、現実から目をそらせるのが癖になってしまい、そのせいでもっと辛い目に自分を追い込むという悪循環に陥ることになりました。

いい例えかは分かりませんが、これは、人身事故を起こしてひき逃げをしてしまった人に似ているかもしれません。人を車ではねて、怖くなって逃げてしまうという話はよく聞きますが、その運転手は、罪を免れようとしてもっと重たい罪を犯してしまいます。きっと運転手はあとで、「そうなることは目に見えていたのに」と後悔するのですが、その時は分からないというか、分かっていても目をそらしてしまうのだと思います。

私は、大事な飼い猫が医療ミスで死ぬという経験をしたあとから、その辛さに耐えられなくなり、すぐに仕事ができなくなりました。何年も引きこもりのような生活を送るうちに生活習慣が狂い、20kg太り、健康を崩しました。偏頭痛が治まらず、人当たりも悪くなりました。

人と接する機会もなく、人のミスで大事な家族の命を奪われたという被害者感情を強く持っていたために、人間が大事には思えなくなり、考え方が歪んでしまい、ついには身勝手にも人様を傷つけてしまい、警察のお世話になりました。

そのことで自分の家族もとても傷つきました。落ちるところまで落ちて、何もかも失って、それでもこんな私を必死に助けてくれようとする家族のありがたみや、人々の親切に感謝しました。それまで何も感じなかった快適な衣食住や、暖かいご飯に幸せを見い出しました。

そして、おそらく同じようなことを経験した人たちみんなと同じように、こんなことになるぐらいなら、苦労してでもまっとうに生きていたら、ずっと楽しい人生があっただろうと後悔したのです。当然私は、心を治して、更生して、家族に恩返しをして、今度こそ人生をやり直そうと誓いました。

でもそこで私は怖くなりました。確かに後悔は大きいものの、私自身は何も成長していません。

大事な家族が死んだ悲しみは一生消えず、不安や後悔も消えていません。このままではいつかまた耐えられなくなって同じ過ちを繰り返し、人様にも家族にも迷惑をかけてしまうだろうと私は察しました。でも自分ではどうしたらいいか分かりませんでした。

カウンセリングで岡本先生が私に教えてくれたのは、「自分が何を考えているのかを正確に知る」ということでした。

結果的に、それこそが私に欠けていた技術だったことが分かりました。最初の変化は心よりも体に起こりました。何年も患っていた偏頭痛が消えました。薬でも治らなかった頭痛の原因はどうやら、辛いことを思い出したり、人生がうまくいかないことを嘆いたりして悪い考えが悪循環に陥っているときに、無意識に歯をくいしばり、肩や首をいからせて、頭や顔全体に力が入っていたことで起こっていたようでした。頭痛が治ったのは、「今、自分は悪いことを考えているんだ」ということに気づいて、意識的に体を力まないようにできたためだと思います。

次の変化は、頭を振ったり、目をぐるりと回してしまうクセが止まり、つまづいたり、物を落としたりといったドジが減り、物腰が落ち着いたと家族に言われたことです。これも悪いことを考えているときに現れる体の症状であったり、注意が散漫になっていたために起こっていたことだと分かりました。

そのようにして、だんだん自分が考えていることや、自分の体に起きていることを理解できるようになっていきました。そして体が楽になってくると、一日がずっと楽しくなりました。

すると、欲が出て、もっと自分のことを理解しよう、コントロールしようと思うようになりました。

カウンセリングを進めていく中で驚いたのは、いかに私が自分のことを知らなかったか、ということです。

少しずつ自分のことが分かってくると、仕事をしていても、人と接していても、以前よりずっとうまくいくことに気づきました。

自分のこともちゃんと振り返ることができるようになりました。仕事ができなくなり引きこもったときは、働かないといけないと思いながらも、毎日、辛い思い出や将来への不安などの悪循環で頭も体も手一杯になってしまって、理由も分からず体は辛いし、何をやっても失敗ばかりで、余計にやる気をなくしてしまっていたんだと思います。

あのときの私は、一度人生に挫折したせいで、スタート地点に戻る決心がつきませんでした。後悔するのは体が辛いので、楽になりたいあまりに「これでいいんだ」と思い込もうとしていました。誰にも自分は助けられない、1人で生きていくんだと気を張りながらも、本当は誰かに助けて欲しかったのです。

漠然と、仕事をしなきゃと思っても、心も体も辛いので、つい何か簡単で気軽なきっかけがないかと探してしまいますが見つかりません。時間だけが過ぎていき、焦り、その間に色んなものを失っていき、後悔します。その後悔が体に負担をかけ、生活に支障をきたします。その終わりのない悪循環が、私に起こっていた問題だったのだと思います。

幸運に恵まれ、岡本先生のカウンセリングはその悪循環をとめ、私が本当に必要としていた助けを与えてくれました。私のような問題を抱えた人の中には、薬での治療や他の方法を必要とする方もいらっしゃるかもしれませんが、こういう方法もあると多くの人に知って欲しいです。

ただし、私自身がそうだったように、警察のご厄介になるような大きな出来事があって、本当に助けを必要としていることを自覚するまでは、なかなか周りの人に助けは求めづらいかもしれません。

家族は「大丈夫?」と聞きます。「大丈夫だよ」と答えると家族は安心するので、つい強がります。「何の問題もないよ」と言って自分の挫折を隠して、周りの人に苦しみや悲しみを隠します。理解のある家族が病院に行こうかと言ってみても突っぱねてしまうかもしれません。

男の子や、思春期のときなどは特にそうじゃないでしょうか。私の場合は、家族も私も過去の経験から、病院での心の治療というものには懐疑的で「根性と気合いで頑張ればいいんだ」みたいな雰囲気があったので、誰かに助けてもらうという選択肢が最初からありませんでした。でもどこかで、「病院に行ってみようか」と言ってもらいたかったのです。

心を病んでしまうと、自分で思っていることを表現することも難しいですし、周りの人が理解するのもとても難しくなります。そこで大事なのは、周りの人が本人を理解するための努力を続けることだと思います。

誰かに病院で見てもらうことを薦めたいときは、その前に、精神科や、カウンセリングや、心のケアというものが、ケガや病気で病院に行くのと同じくらい普通のことなんだという雰囲気作りをしてもらうと、本人も助けを求め安くなると思います。

体を治す病院にも色んな種類があるように、心を治す病院にも色んな種類があることも分かりました。本人が何を必要としているのか見極める方法は私には分かりませんが、私のように最初の一つだけでダメだと諦めないで頂きたいです。

表面的には理解しづらい本人の辛さに気づくためにも、周りの人、お子さんの場合なら、学校の先生などが本人を気遣い、話をする機会をたびたび設けるといいと思います。

毎日のことなので形式的になってしまう先生と生徒の関係や、先生と家族との関わりを深くすることが大事だと思いました。

私が昔の担任の先生のことで覚えてるのは、授業よりも、学校の外でのプライベートな関わりのことや、相談に乗ってもらったことばかりでした。今思うと、確かにそのとき私は心を開いていたようでした。

例えば、連絡帳で担任の先生が個人的に心配してくれて突っ込んだ質問をしてきたときや、私の個人的な悩みや思想を否定せずに聞いてくれたときなどです。

そんなときは家族に言えないことも言えるかもしれません。先生も混じって三者面談や家庭訪問を増やしたら、本人もずっと気が楽だと思います。

これを書いていて気づいたのですが、私もずっと、言いたいことが言える環境にはありませんでした。気が弱く、何を聞かれても、周りの期待に合わせて答えを選んでいたからです。

そのため、私には反抗期というものがなく、あまりに模範解答ばかりだったせいか、母はそのことに気づいて言いたいことが言えないんじゃないかと心配していましたが、私はそんなはずはないと思っていました。

今でも私は八方美人なところがあり、基本的に人に対して反抗することも、反論することもありませんし、その点で人柄がいいなどと言われることがありますので、ほとんどの場合はそのことに不満は感じていませんが、どうやら、大事な猫のことや、どうしても譲れないことについて意見が合わないときには、反抗できないことに大きな不満を感じていることが分かりました。

でもいくら本人が本音を隠すのが上手でも、関わる人が多くなってくれば、だんだん本音が漏れてきます。相手が変われば話せることも変わっていくので、自分でも、自分の本音に気づいていきました。

カウンセリングを受ける中で、私は自分自身だと思っていた外向きの人格のようなものが何人もいることに気づき、その奥に「本音の自分」を見つけました。そんなはずはないと思っていた自分の本音に気づきました。

八方美人は今でも変わりません。でも今は、それをちゃんと意識して、何が本音か分かりながら、体の調子を把握しながら人と関われるようになりました。

ここに至るまで私は本当にたくさんの人たちに助けられました。たくさんの人たちとたくさん話をし、気づかってもらいました。

困難に立ち向かう自信も沸いてきました。辛い思い出があっても、今に不満でも、将来が不安でも、そこから逃げる必要がなくなり、体の辛さはなくなりました。

支えてくれた父母、兄弟、導いてくれた岡本先生、カウンセリングを進めてくれた人、こういう幸運を与えてくれたすべての人に感謝をしています。

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